2025-10-22
孤独に関するエッセイ・アンソロジー。たぶん四十四編。執筆者は文学者を中心に多彩。九十歳を過ぎた皆川博子や筒井康隆から、九十年代生まれの若い人まで年齢も幅広い。
多くの人が「物理的に一人であるときよりも、多くの人に囲まれているときに孤独は強い」と念を押すように言う。また、孤独を切実な苦しみとする人もあれば、孤独のすがすがしさや自由を肯定的に語る人もいる。「望んだ孤独と望まない孤独」というような話も。孤独なんて有り得ないような気もするし、誰でも常に孤独であるような気もしてくる。皆孤独という矛盾。
宮内悠介の「孤独だったときは何とも思わなかったが、親しい友人や妻ができたら孤独が恐ろしくなった」という話が面白い。
俺自身の話をすれば、レジで「カードでお願いします」くらいしか喋らない日々が長らく続いているが、辛いと思ったことはない。社会性が壊れているのかもしれない。
「世界のどこかで泣いている人。痛みに耐えている人。到底、触れられない。到底、わからない。それでも、その中にあるものへ想いを馳せてみる。表層的な情報に流されず、「知った気になる」の奥へゆく力を、孤独の時間はわたしにくれる」(p.17 一川華「やわらかな輪郭のなかで、孤独は踊る」)。
「10歳くらいのとき、祖父とその仲間たちに交じって富士登山に行った。登る前か、登ったあとだったか、ふもとにある町のうどん屋に行ってキノコうどんを食べた。祖父たちの楽しそうなお喋りを聞いていたその瞬間、なんの前触れもなく心が鉛のように重くなった。周りの音が遠くなって、この世界に楽しいことなんてひとつもないような気がした。誰にも説明できない寂しさと「今すぐここからいなくなりたい」という思いに胸を鷲掴みにされて、あたたかいうどんの器を見つめながら、私はしばらくのあいだ硬直した。孤独だと思った。それ以来、私はときどき孤独の発作を起こす」(p.24 伊藤亜和「ずっとみていて。」)。
「「紛らわせたい孤独」が受動的なら、「創るための孤独」は能動的だ。絵画も音楽も小説も「個」と「孤」から生まれる」(p.78 塩田武士「孤独の表裏」)。
「おしどり夫婦と呼ばれている夫婦こそ離婚するなんて言われるけれど、そう呼ばれない夫婦も離婚する。摂理だ」(p.91 武田砂鉄「無表情で乱れ打ち」)。
「孤独じゃないと不安になります」(p.183 ゆっきゅん「誰も見ていないものを誰にも言わずに見てる」)。
セ記事を書く
セコメントをする