2026-09-27
著者の、仏像を中心とする日本の仏教美術に関する著作、『仏像』『仏像に想う』『羅漢』の三冊をまとめたもの。
『仏像』では、仏像を、如来、菩薩、明王、天部の四種類に分け、それぞれ代表的なものや特徴的なものをいくつか選んで、鑑賞、評価、分析している。その方法として特徴的なのは、それまでの仏像評論が、感覚や印象による賛美か、形式論に偏っていたのに対して、著者は「その形が現わしている仏教思想やつくられた当時の信仰の在り方」などを探ろうとした点である。著者はそれを仏像の「心」と呼んでいる。そして、薬師如来を現世利益の仏、阿弥陀如来を彼岸救済の仏などと分析していく。
面白いのは『仏像』の最後の章で、この分析を基に各仏を図上に配置した、新たな曼荼羅を作っているところである。釈迦を倫理的人間的、大日を形而上学的宇宙的として対照的な位置に置き、現世利益の薬師と彼岸救済の阿弥陀をそれに直交するように配置して関係を図示し体系化していく。
さらに、一つの体系を作って結論とするのではなく、それぞれの仏の志向が現在的か未来的か、実際的か観念的かという軸で別の曼荼羅を作り、またさらに、男性的な不動像と女性的な観音像という軸でまた別の曼荼羅を作ってみせる。つまり、一つの体系が結論であり正解であるということではなく、視点によってさらにさまざまな軸で体系化されるさまざまな曼荼羅の可能性が開かれているのである。新たな観点を主張しながら、閉じることなく開いていくところがなんとも素晴らしい。
それに比べると、『仏像に想う』と『羅漢』は、個々の仏像や美術の鑑賞分析で、大きな体系化は見られない。しかし、もちろんその内容は著者独特の創造と空想にによる飛躍に充ちて、十分に面白い。
例えば、十六羅漢の一人、那伽犀那尊者について次のようにある。「私は彼が笑っているのを見ると、天地そのものが笑っているように見える。天地が自らを祝福しているのだ。天地が、存在のすべてに、イエス、イエスといい続けているようである。天地は多くのものを生みだす。それはすばらしいことではないか。人間という天地の創造物、それはすばらしいことではないか、そのすばらしさを、彼は天地に代わって祝福しているようである。私は彼の笑いを見るとき、人間というものはいいものだなと思う。天地よ、万歳、人間よ、さちあれ。私には、彼の笑いのなかには形而上学的な何かがあるように思われる」(p.322)。
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