2025-06-24
養老孟司と識者が来るべき南海トラフ地震について語り合う対談集。対談の相手は、地震学者の尾池和夫、都市防災学者の廣井悠、社寺建造物修復のデービッド・アトキンソン、自然写真家の永幡嘉之の四人。養老孟司は地震そのものよりも、復興をどうするかを重要視している。
養老「天災と日本という主題を考える時に、縁が遠いようだが、どうしても触れざるを得ないのは鴨長明と『方丈記』である」(p.4)。
尾池「もう六十年前の話なんですが、原子力発電所を作る候補地を決めるのに際して、地震の起こったところは怖いからと、わざわざ「日本の有史以来、千五百年以上、大きな地震の起きていない地域」を選んだんですよ。/もしその下に活断層があったら、本当は「千五百年以上動いていないのは危険だ」と判断しなくてはいけないのに」(p.32)。
尾池「ところが行政はときおり、私たち学者が提言していることを「なかったこと」にするのです」(p.55)。
廣井「ここまで被害の範囲が大きくなると、「助けてもらう」側の市町村ばかりで、「助けてあげる」側の市町村がとても少なくなります」(p.73)。
廣井「でも人間って、本音を言えば、防災対策をやりたくないんですよ」(p.110)。
廣井「実際、お祭りをやっている地域って、住民同士に顔の見える関係があるので、防災活動もうまくいくんですよね」(p.115)。
廣井「この地域(インドネシア・シムル島)は、百年ほど前に発生した地震津波で数千人クラスの死者が出たそうです。なので、その教訓を子守歌に落とし込み、「スモン(津波)が来たら山へ逃げよう」と歌い継いできたといいます。つまり教訓を子守歌という形に落とし込んで、子々孫々のDNAに刻まれていたから、被害を減らせたと言えるでしょう」(p.119)。
アトキンソン「東北と熊本で地震が起きたときに、いろいろ勉強してすごくびっくりしたのは、復興庁って地域限定・期間限定なんですね。そのために、東北の地震で用意されたものが熊本では使えなかったと聞きました。/災害対策を専門とする省庁が常設されていないこと自体、驚きですよ。日本にこそ必要なものなのに」(p.133)。
日本の先送り体質について。養老「あと十五年もすれば、南海トラフが来るとわかっていても、そのときに考えればいいや、というところがありますね。/しかも現実に巨大地震が発生して、早急に手を打たなければ大変なことになるというところまで切羽詰まっても、「いや、法律上、問題があるからできない」なんて、平気で言う」(p.134)。
養老「誰も考えないし、だれも責任を取らない。「みんなで話をして、みんなで考えましょう。以上、終わり」というやり方でいい。日本人にはそういう考え方が小学校の道徳の授業のときから叩き込まれているんです。結論なんか出やしない」(p.195)。
養老「南海トラフが起きるとされている二〇三八年の時点で、必要なエネルギーや食糧がどのくらいかは計算できるはずです。人的資源もそう。生産年齢人口が何人で、どういう分野にどれだけの人を投入できるのかはわかります。国の機関はその程度の青写真を描いていなくてはいけません」(p.214)。
養老「この国は口では「基礎研究は大切です」と言いながら、誰も本気でそう思っていませんよ、残念ながら」(p.216)。
セ記事を書く
セコメントをする