中沢新一著『精神の考古学』
2024-04-20


四十年前、著者がネパールでチベット人の指導者の下で学んだ精神の教えとその修行の過程を描く。その教えとは、「ゾクチェン」と呼ばれる古代から秘密裡に伝えられているものである。題名の「精神の考古学」とは、元は吉本隆明の言葉で、古代の知恵を発掘するというような意味である。
 この本の中で、頻繁に用いられる吉本隆明の言葉はもう一つあって、それは「精神のアフリカ的段階」というもの。農耕以前の狩猟採集的な精神を表す。それは同時に、言葉以前というか、言葉では掬い取れない身体的あるいは霊的な智慧という意味でもある。この智慧は、すべての生命や自然に対して開かれており、人間の自己を解体する。と、言葉でまとめてしまえば、よくある神秘主義的な人間観や世界観だが、ここでは著者が経験した強烈な身体感覚を伴う具体的な修業が事細かに描かれている。
 自然に対して開かれた、言葉以前の本来の心に満ちた知恵をゾクチェンでは、リクパと呼ぶ。俺は、「適応という問題を解決している」という意味で、進化は知性ではないか、と思っているのだが、リクパは進化の智慧ではないか、と思ったりした。
 「チュウは外国の人がよく言っているような悪魔払いのための瞑想としてできたものではありません。(略)悪をなす存在を滅ぼすのではなく、まだお返しのできていなかった負債を体でお返しすることによって、彼らの心を満足させ、ふたたび純粋な霊に戻してあげようとする、これがチュウの教えです」(p.85)。
 「スピノザは(彼の理解する)一神教の神を土台に据えたのであるが、私はその土台を仏教的な「空」に変えた無神論的な東洋の「エチカ」というものを、ひそかに構想するようになっていた」(p.265)。
 「しかしそこ(『悲しき熱帯』)で言われている物質界と人間精神をつなぐ「構造」は、構造主義の考えているようなレベルには見出しえないことを、私は次第に理解するようになっていた。構造主義の考える「構造」は、言語的表象のレベルに設定されていた。だが物質界と人間の精神をつなぐ真実の回路は、そこには見出すことはできないのである。私の抱えるそうした問題に、ゾクチェンは真正面から答えてくれた」(p.417)。
[本]

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