柴田元幸 沼野充義著『200X年文学の旅』
2022-01-05


20年 2月28日読了。
 柴田元幸と沼野充義が交互に書くという形式のエッセイ。アメリカとロシアの現代文学が話題の中心だが、俺には現代文学と古典の関係について語られた部分が面白かった。
 柴田元幸「ひとことで言えば、彼ら(現代文学作家)にとって、古典文学は乗り越えるべき権威でも、殺してその座を簒奪するべき父親でもないように思える。(略)むしろ古典作家たちは彼らにとって対話すべき仲間であることが多いように思える。(略)とにかく仰ぐ対象ではあれ威嚇されはしない存在。要するに古典とのつきあい方がかつてよりマイルドになってきている感がある」(p.209)。古典は敵ではなく、神聖な物でもないが、無視して良い物でもない、ということか。
 巻末に翻訳者や作家数名とのシンポジウムが収録されているが、これが案外面白かった。
 堀江敏幸「(文学が)役に立っているかどうか、教えている側にも、享受する側にも、わからないわけです。わかっていて、それをやっているとしたら、むしろ不健全でしょう」(p.305)。
 池内紀「ミサイルよりもモーツァルトのほうが強いというのが、自分の生きている原理ですから、それに対する疑問はありません」(p.306)。
 中村和恵「わたしたちの多くが頼っている日常の物語がじつは、多くを失い困難を抱えた現代のアボリジニよりも場合によってはよほど痩せ細って単純な、紋切り型のものになってしまっている、物語が貧しくなってしまっている、そのことは大きな社会問題なんじゃないかという気もします」(p.307)。
 沼野充義「つまり『(同じ人間なのに)こんなにも違う!』と『(国が違うのに)こんなにもわかる!』の間の、理解不能の絶望と理解可能の感動の間の永遠の往復運動を私はやってきたような気がします」(p.313)。
[本]

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