奥泉光著『その言葉を』
2019-08-01


14年 9月12日読了。
 二編収録。「その言葉を」は、他者との交流をしようとしない青年が主人公。何しろコミュニケーションを拒むのでその内面がどのような物かは良く判らないが、拒絶的であるという点では首尾一貫している。しかし彼は少年時代は大変な秀才で、学校などでは指導的役割を果たそうとするような男だった。何かが彼を変えたのだ。作中で、きっかけと成った事件については語られるが、彼の心の動きは判らないままだ。少年時代の回想を除いて、最後の一行まで、作中で彼は言葉を発しない。言葉を失った、或いは拒否した男。語り手の饒舌が対比的。
 ところで、ジャズドラムを趣味とする語り手はこんな事を言う。「ジャズがその姿形を刻一刻と変革し、形式と情熱、人工的構築と内なる自然の発露、構造と逸脱、創造と破壊、革新と保守のせめぎあいの中で沸騰した、まさに一つの芸術様式として歴史を持ったのは六〇年代までのこと」。異論は多々あろうが、一つの見方ではあろう。終ってしまったのなら別の道を探せば良いような物ではあるが、一時期情熱と愛情を注いだ対象に対する未練、郷愁、そして愛惜のような複雑な感情があって割り切れない気持ちも良く判る。つまり青春だ。個々の作家や作品には素晴らしい物も多いが、運動としてのSFも終わっているだろう。別の何かが始まる気配もない。
 「滝」は、ある新興宗教を信仰する少年たちが、教団の儀式である山岳修行を行う様子を描いた物。はっきりとした悪意を持った者は居ないのにボタンを掛け違えたように悲惨な結末に誘い込まれていく。人里離れた山が舞台と成っているためか、何も超自然的な事は起こらないのに、全体に幻想的な雰囲気に包まれる。主人公の一人である勲という少年が、仮面のような微笑を張り付かせて内面を窺わせず、最後まで何を考えているのか良く判らないのは「その言葉を」に似ていない事もない。真ん中に穴を開けておく技法。
[本]

コメント(全0件)
コメントをする


記事を書く
powered by ASAHIネット